うみのくるしみ

よっこらしょっと重い腰をあげてさ

いよいよ組織で生きていけないと悟った

「組織」とは、ある目的を目指し、幾つかの物とか何人かの人とかで形作られる、秩序のある全体。そういう全体としてのまとまりを作ること。また、その組み立て方。

だそうです、Oxford language日本語辞書によると。

 わたしは大学を卒業してから5年間、何らかの会社という組織に属して働いてきましたが、タイトルにも書いた通りでいよいよ組織に属して生きていくの厳しくね?……と感じはじめました。三つ子の魂百までってことわざの通りなんですかね? おじいもババーもママも、家族の構成員が誰ひとり大して働いていない家庭で育ちました。多分昔に稼いだんでしょうね。それかお金の当てがあったんでしょうね。でも家族からは「あなたは働かなくちゃ生きていけないから」「自分の食い扶持は自分でどうにかすること」とよく言われていました。なぜわたしだけ?と思いながらも、それでもようやく私の代から"普通"になれるんだ、と意気込んでいました。学生のときから、資産残せよと思いつつ残せる資産など家にないことに気づいていたし、あらゆる面で「普通ではない」「自分たちと違う」と世間に判定されるといかに生きづらいかを知っていた分、最大多数に擬態する訓練を常に自分自身に課していたように思います。家族の中で私だけは違う道を歩み"普通"になるんだと、社会人の最大多数であるサラリーマンに、なるべくしてなりました。「世間の人はみんなもっと大変なのよ」とよく家で誰かが言っていました。うちは天上人か何かの家系なんだろうか? よくわからないけど、世間と同化することによって大変な思いをするのは嫌でした。世間の"普通"を構成する人の中でも、優位なポジションに立ったほうが、いろいろ楽に進められると思ったんでしょうね。私は別にやりたいことも欲しいものもなく、ただ手っ取り早く普通になりたいだけでしたので、それを目標に、興味はないが就職に有利な学科を選んで進学してみたり、やりたくもない仕事を選んでみたり、とっても強い自覚を持ってアイデンティティを消すことで、普通のサラリーマンになることに成功しました。アイデンティティなんて普通になるためにはむしろ不要で、足を引っ張るものだとすら思っていました。学生のころ目立たないように、よく個性を殺せと唱えてました。変わってるねと言われて目立つことがいやだったし、何が人と違うかもわからなかったし、何を殺せば周りが仲間と認めてくれるかもわからないまま、ただ個性がそれを邪魔していると思ったので殺せ殺せと唱えながら生きていました。癖になっているんだと思います。今となっては「別にあんたは普通だよ、凡庸な11才で、14才で、17才だった」そういって抱きしめてやりたいです。ママに、わたしは目立ちたくない、みんなと同じになりたいと言ったら「それじゃきゃりーぱみゅぱみゅになれないよ」と言われました。きゃりーちゃんになるためには、目立つことを恐れてはいけない、個性は殺す必要ない、誰にも迷惑かけてないんだから、と。でもそれでわたしは生きていける自信がありませんでした。普通じゃなくても金があって生きていけたあんたたちに何がわかるんだと、家族に対して思いました。多数派にいた方がいつだって有利なんだと。普通に生きていくためには、多数派にしがみつくんだそのために個性なんて殺すんだと。そうして組織に所属しましたが、自分が言ってることとやってることが合わないんです。あんたに普通になりたかったけど、もうそれもどうでもいいです。だってつまんない。出世したくねえし、他人の出世も気になりません私は。あなたたちと違うんです。どうでもいいんです。それなりに訓練してきたけど応用がきかなかったのかな。擬態し続けるのは疲れますね、もう我慢がきかないんです。じゃあわたしに何ができるんですかね。何もできないじゃないですか。媚び売ってヘラヘラしているだけじゃないですか、でもそれが普通だったんですよ、わたしがみてきた普通がそれだったんです。正しかったんです確かに。でもちゃんとできないんですよ。やり続けられない。どう生きていけばいいかわからないんですけど、それも普通なんですかね。なににこだわってるんですかね、大丈夫です?