うみのくるしみ

よっこらしょっと重い腰をあげてさ

優しさが足りない

なんかこう、私に必要なのは「祈り」とかそういう類のものなのかもしれない。

根本的に優しさみたいなのが足りてなくて、どっかで落っことしてきたんだろうなと思う。優しさは心だとか言われたらもう泣きながら埋まるしかない。技術であってほしい。でも技術だとしたら、テクニックに逃げてどうせ私はまた斜に構えるんだろう。

力強く打開していく力はあるんだけど、一周まわって暴力的になってきた感がある。とにかく自分が手に負えない。外でなんか獣みたいなのが吠えててこわい。食うか食われるかだろ、みたいな価値観、そろそろ卒業したいんだけど何から始めたらいいんでしょうか。優しくなりたいというのとも違くて、この薄っぺらい全能感が手に負えなくて怖いから手放したいってことを言っています。

小手先でしかない。上っ面だけすべすべにしておくのは昔から得意で、意地汚い。人に何をされたとかより、飲み込んできた自分の狡さにじっとり首を絞められていていよいよ苦しくなってきた。ただ己に返ってくるだけなら甘んじて受け入れるが、おそらく他人にとっても凶器なんだろう。こんな形で、人に影響を及ぼしたくはなかった。

私の価値にこの強すぎる生命力が見合わない。落ち着かないな、恐ろしい。

言葉に頼りすぎているのかもしれない。今この瞬間も含めて。言葉が何かを解決することばかり望んでいる。でも言葉の先に私が、他人が、心から望んでいることが、本当にあるんだろうか? 最近神社によく行くけれど、そこでも言葉で祈る。言葉で祈って通じるんだろうか、祈りとは言葉なのか。軽んじてないだろうか。言葉を使わず、感じたり留まったり、……許せるんだろうか。許すというか、そこに解を求めずにいられるんだろうか。なんという浅さか。